我がゴルフ人生の区切りを迎えて~~石河雅貴さんより


私のゴルフ人生は34歳の時、茨城県の「フレンドシップGC」で始まりました。まだゴルフは社会的には一般化する夜明けの時代で、私の会社では課長職にならないと先輩部課長グループで盛んなゴルフ仲間には入れてもらえない時代でした。

仲間に入れてもらうべく、1年前から練習場に通い、自己流でそこそこ振れるようになり、先輩部課長の認定試験を受けての『筆おろし』でした。確かスコアは『74-69』だったと覚えています。

以来、この部課長グループは東名㏄をホームコースとして『パナ東名会』が出来ておりましたのでビジターで入会させて頂き、東名㏄でのプレイが多くなりました。まだ5日制が普及していない時代ですから、プレイが出来るのは日曜日や祭日。ビジターとしての参加を許され、精々月1回が楽しい機会でした。何故なら日曜・祭日のグリーンフィだけでも25,000円の時代だからです。

家を購入した時でローンも抱え、月に一回のゴルフは何物にも代え難いリフレッシュの機会でした。しかし、家計を預かるかみさんからの怨嗟の声はご想像にお任せいたします。

こんな仕事の中のゴルフを約10年経た頃から、わが社を取り巻く環境に大きな劇震が降って湧いてまいりました。急遽、米国イリノイ州のシカゴ近郊の関係会社の一隅で、新会社の設立と生産を始める事になりました。丁度、大学受験と高校事件を控えていました、子供をかみさんに託し、単身赴任を致す事に致しました。

 

それから10年経ち、帰国して久しぶりに懐かしい方々とゴルフをする機会が増え、ビジターでは高くつくと思い、かつてパナ東名会幹事長であった佐藤氏に相談したところ、『今が買い時だ!君がいない間に東名㏄は2000万円まで行ったが、今や500万円ぐらいまで下がってきているぞ』との事で1996年会員となった次第で、これでようやく名実ともにパナ東名会のメンバーとなれました。メンバーとなるとすぐ、3代目の幹事に半ば強引にさせられてしまい、皆さんのお役に立てばと引き受けました。

それから約10年間はパナ東名会でもかなりの腕前の一人として認められるようになりました。 10年間のアメリカ勤務のお陰だと思います。Official H/Cも”8”まで頂きました。 調子に乗ってパナ東名会の姉妹会ともいうべきゴルフの会を10個ほど創り、最盛期はその中の5個の会の幹事を兼任した時もあり、 まるでゴルフのイベント屋のような時代もありました。

それから今日までH/Cは落ちる一方 現在26を頂いております。

東名㏄にお世話になって約50年。コースは池が無くなったり谷が無くなったり、ワングリーン化等多くの改造はされましたが基本的距離はそんなに変わっていないのに拘らず、この現状を実感しこのわがゴルフ人生に多大の示唆を与えてくれたコースを他人に渡すのではなく、息子に引き継ごうと考えた次第です。

これまでビジネスの世界とは別の修行場であった東名㏄様、本当にありがとうございました。

今後の益々ご清栄をお祈りいたすと共に今後、愚息がお世話になりますのでよろしくお願いを申し上げます。

 

息子や孫にはにゴルフの時は、『ゴルフはプロになる人とアマチュアの人ではプレイする意味が異なる。

プロは生活をかけてプレイするが、我々は上手くなるのも楽しみの一つだか、

プレイするコースや同伴者から見聞きし、感じるすべては人生の示唆を

多く含んでいるものであるから、単にゴルフプレイを楽しむのではなく、

そういう見方をしながらプレイすると一層楽しく又興味深くそして自己の

成長を助けるものと思え』 言っています。

今回息子に引き継ぎ、そしておそらく孫に引き継ぐ事でしょが、東名CCの繁栄と共に

子孫の人間的成長が出来ればと願っています。パナ東名会石河様